長部小学校の避難所がある体育館へ支援物資を運ぶ。
全国からいろいろな物資が届いている模様。誤解を恐れずに言えば、ここでは物資は過剰気味か。
そのため、持って行った一部の物資は足りているとのことで持ち帰ることになった。避難所といっても、スペースは有限であるので備蓄しておくものも限られるのだろう。
もちろん、すべての避難所で物資が過剰気味ということではないのだろうが、少なくともここに必要な支援はもっと別の何かなのかもしれない。
当初は物資を運ぶこと以外にも何かできるのではないかと思っていたが、実際はそうではなかった。
すでに震災から100日が経過しているのだ。仮設住宅は無論のこと、避難所であっても、そこで人々は自立に向けて生活を始めている。避難所であっても、そこはすでに「人の家」なのだ。他人が気軽に訪問できる場所ではない。
自分の家にいきなりボランティアと称する人々がやってきて何か手伝うことがあるかと聞かれても、困惑するだけだろう。今回は、自分たちが訪問者の立場であっただけ。
そんなわけでやや意気消沈気味のご一行であったが、気を取り直して次の場所へ。
次の目的地は、金剛寺である。金剛寺は、今までの訪問先とは異なり、直接に津波被害を受けた被災地・被災場所である。その一角に、テントを建てて避難生活を送っている住民の方がいるということらしい。
そこへ向かう途中、陸前高田市街地の中の被災地域を通ることになった。
そんな中、車を走らせること数十分で金剛寺に到着した。というか、はるかかなたからおそらくあそこだろうということは容易に想像できた。建物が壊されてほとんどないので視界を遮るものがないため、遠くを見渡すことができたからだ。
ご住職と連絡がついたので支援物資を持参したことを説明。許しをもらって階段を上がり、避難場所へと運んだ。
その後、お堂をお参りし、お墓参りも行なった。石碑や仏像も多数倒壊していたし、階段の金属製の手すりも大きくゆがんでいた。津波の脅威を容易に想像できる物証である。
日差しも強くなり、暖かいというよりも暑いくらいになってきた。
この辺りのライフラインは復旧していない様子。金剛寺の駐車場の傍らに簡易のお風呂があったが、当然水道水も使えないはずなので、お風呂も相当ご苦労なさっていることだろう。
いざ陸前高田④へ続く。