ネットでたまたま見つけました。
心の琴線に触れるような文章でしたので、備忘録と紹介を兼ねて掲載させていただきます。ちょっと長い文章ですが、きっと何回も読み返したくなるような文章だと直感的に思いました。
原文はシンガポールの法律家でシンガポールの名門大学出身の方によるものです。この文章はその大学の2008年の卒業式に招待されたときのスピーチで、それを日本語に翻訳したものだそうです。その部分を以下に引用させていただきます(引用元がアクセス不能になったときのために、引用文を直接掲載させていただいています)。
引用元のサイト↓
http://www.tommyjp.com/2010/12/blog-post_1805.html?m=1
『Wee Kim Wee School of Communication and Informationの教職員の方々に、こうして演説の機会を与えてくれたことを感謝しなければなりません。
ここで、10分間、矛盾と中傷と仕返しを恐れることなくスピーチができるということは、私にとってこの上ない栄誉であり、恩恵に他なりません。ひとりのシンガポール人として、さらには一人の夫として。
私の妻は良く出来た人間で、ある一点を除いて完璧です。彼女は雑誌の編集者なのです。生業として人々を正しています。彼女は4半世紀以上もの間、専門スキルを磨き上げてきました。主に、自宅での私との会話による訓練によってです。
一方、私は訴訟弁護士です。基本的に、人々の間違いを指摘しながら生きてきました。嫌なやつになることで生計を立てています。
それにもかかわらず、結婚生活は円満です。その理由は、編集者と訴訟弁護士が議論すると、勝つのはいつも妻だからです。
だから、まずは男性たちに一つの忠告をしておきます。彼女のハートを既に勝ち取っているなら、もはや全ての論争に勝つ必要はありません。
結婚は人生における一大事です。あなたたちの中にはもう結婚している人もいるでしょう。一生しない人もいるでしょう。これからする人もいるでしょう。何度もする人もいるでしょう。おめでとう。
人生におけるもう一つの大事件は今日、卒業です。教育の終わり。学びの終わりです。
あなたたちは、恐らく、とんでもない大嘘を教えられてきたのではないでしょうか。「学びは生涯続くプロセスである」と。その嘘に従って勉強を続けると、修士号や博士号や教授職などを得ることになります。こういう嘘をあなたたちに言うのがどういう種類の人たちか知っていますか?
先生です。そこにはある種の利益相反があるとは思いませんか?
究極のところ、彼らは教育ビジネスに携わっているのです。あなたたちなしではどこにも存在できません。彼らはあなたたちにお得意様でいてほしいのです。
彼らは間違っています。これがグッドニュースです。
バッドニュースは、あなたがもはや教育を必要としない理由が、あなたの全人生が終了したからだということです。終わったんです。ショックに聞こえるかもしれません。あなたたちはまだ10代または20代のはじめでしょう。人々はあなたたちに70、80、90歳まで生きられると言うでしょう。平均寿命です。
平均寿命。私はこの言葉が好きです。私たちは皆、この言葉が、ある人間集団における平均的な余命を意味していると理解しています。しかし、私はここに、あなたがたの人生の指針になるような、もっと大きなアイデアを話しに来ました。
シンガポールが現在、世界で3番目に平均寿命の長い国と聞けば、あなたたちは喜ぶでしょう。アンドラと日本の次で、サンマリオと同点です。なぜ、これらの国の人々が長生きするのかは明らかです。共通点は、サッカーチームが絶望的だということです。ワールドカップで自国チームがプレイするのを見ても血圧が上昇する危険はほとんどありません。むしろ、観客は安心して穏やかでリラックスした眠りに引き込まれるでしょう。
シンガポール人の平均寿命は81.8歳です。男性は平均して79.21歳まで生き、女性はさらに5年以上長く生きます。おそらく、彼女たちがバスルームで過ごすための追加の時間を考慮に入れているためでしょう。
20代のあなたたちは、まだ40年も先があると思うでしょう。長生きし、成功するために40年も。
バッドニュースです。新聞を読んでください。50、40、30歳で命を落としてしまう人がいます。または、卒業式の集会の直後にだって十分起こりえます。その人たちは、平均寿命に達することができなくて、がっかりするのでしょう。
私はこう言いたいのです。平均寿命なんて忘れましょう。
結局それは、平均という考え方に基づいて計算されるものです。あなたは、平均的でありたいなんて絶対に思っていないでしょう。
人生において期待することを今一度考えてみましょう。
働き、恋に落ち、結婚し、家庭を築くことを、あなたは期待しているかもしれません。卒業生として、あなたはこう言われるでしょう。給料がたくさんもらえる職を見つけるべきだと。労働時間が長く、責任の重い。
これが、あなたたちに期待されていることです。もしも、あなたたちがこの期待に応えるとしたら、それはすさまじい浪費です。
期待に応えるのが当然だと思うなら、自分を制限することになります。平均的な人々によって定められた境界に従って人生を生きることになるでしょう。私はそうした並の人々と敵対する気はありません。
しかし、彼らのようになることを目指すべきではありません。そして、平均並みになるのに、シンガポール最高の知性による何年もの教育は不要です。
何に対して準備をするべきか。混沌に対してです。人生なんてメチャクチャなものです。あなたが人生から何かを期待できる権利はありません。人生は公平ではないのです。最後に帳尻が合うなんてこともありません。人生は、降り懸かるものでコントロールできません。日ごと、時間ごと、瞬間ごとに良いことも悪いことも起こります。運命を前にして、学位はあまりに無力な鎧です。
何も期待してはいけません。人生計画を全て消去してください。ただ生きるのです。本日をもって、あなたの人生は終わりました。今この時において、あなたたちは生涯で最も背が高く、肉体的に最も健康で、たぶん見栄えも最も良いでしょう。達しうる最高の状態です。ここからは下り坂です。それとも、上がるか。誰にもわかりません。
あなたたちにとって、これは何を意味しているのでしょう?人生が終わるのは良いことです。
人生は終わりましたから、あなたは自由です。自由になると可能になる多くの素晴らしいことを紹介させてください。
一番重要なのはこれです。働かない。
仕事というのはおよそ仕方なくしていること。その本来の性質からして仕事は望ましくありません。
仕事は人を殺します。日本語で“Karoshi”という、働きすぎで死ぬという意味の言葉があります。これは、仕事がいかに人を殺すかの最も劇的なかたちです。
しかし、仕事はもっと微妙な仕方でもあなたを殺すことができます。働くと、一日一日、少しずつ、あなたの魂は削り取られて、何も残らなくなるまで崩壊していくでしょう。岩が砂やほこりになるように。
労働は欠かせないというありがちな誤解があります。悲惨な職に就いて働いている人々に出会うことでしょう。彼らは「生きるため」と言います。
違います。彼らはそうしてはいません。彼らは死に向かっているのです。控えめに言って無意味な、もっと言うなら有害なことをすることで、あっという間に消えてなくなってしまう儚い命を、フィルターにかけてしまっているのです。
仕事はあなたたちを人間的に高めてくれる、いくらかの尊厳を与えてくれると誰かは言うでしょう。仕事はあなたを自由にしてくれると。”Arbeit macht frei” (働けば自由になる)というスローガンは、ナチスの強制収容所の多くの入り口に掲載されていました。全くのたわごとです。
人生の大部分を嫌いなことに無駄に消費して、わずかに残された人生をささやかな安らぎの中で過ごす、なんてことはしないでください。どっちみちそんな結末になんてけして辿り着けないでしょう。
職に就きたくなる誘惑に抵抗してください。かわりに、遊びましょう。楽しんでやれる何かを見つけてください。それをやりましょう。何度も何度も。きっと上達するでしょう、二つの理由で。
一つは、好きだということ。
もう一つは、何度もやるということ。すぐに遊びの中に価値が生まれてくるでしょう。
私は議論が好きで、言葉を愛しています。だから法律家になりました。楽しんでやってますし、無料でもやります。もしもそれをやっていなかったとしたら、やはり小説を書くのに関係する別の種類のことをしていたと思います。たぶん、スポーツジャーナリスト。
というわけで、あなたたちは何をすべきでしょう?
自分独自のニッチを見つけましょう。難しくとらえる必要性は感じません。とても良いアイデアや、やりたいことがすぐに見つかります。むしろ、さらに言うならば、好きな道を追求するのを自分で止められないくらいが理想の姿です。時間と共に、あなたが執着しているものが何かわかるでしょう。知識をひけらかして優越感に浸るのが楽しめるなら、先生になるのもいいでしょう。
活力を与えてくれる、夢中にさせる、取り付かれてしまうような道を探してください。毎日、じっとしていられないくらいの熱意とともに起床しなければなりません。そうでないなら、あなたは働いているということです。
あなたたちの多くは、コミュニケーションを伴う活動に従事するに違いありません。その人たちに向けて、もう一つのメッセージがあります。
真実に気をつけなさい。私は、あなたたちに本当のことを言ったり書いたりするのを求めません。そうすることが危険であったり不可能であったりする局面があるからです。真相は人を怒らせたり傷つける大きな潜在的可能性があります。誰かに近づけば近づくほどに、ごまかしたり、さらには事実の隠蔽のような配慮をする必要性を理解することでしょう。たいていの場合、言い逃れをしたり、言葉を濁すことは美徳です。重要なスキルです。沈黙の真価を認めるには高度な成熟が必要なのです。
真実に対して慎重であるためには、まずは真実を知らなければなりません。それには、自分自身に対する率直さが求められます。鏡に映る人間を欺いてはいけません。
ここまで、あなたたちの人生が終わったということ、働くべきではないということ、真実を語るのを避けるべきだということを話してきました。次に言うのはこれです。嫌われなさい。
聞こえるほど簡単なことではありません。あなたを嫌っている人を知っていますか?今まで人類に貢献してきたあらゆる偉人たちは皆、嫌われてきました。一人だけからではありません。だいたいは非常に多数の人々からです。その憎しみは非常に強いので、偉人たちは避けられ、虐待され、殺され、また有名な一例として、十字架に磔(はりつけ)られます。
人は、嫌われるのに悪に染まる必要はありません。実際のところ、自分の信念に従って行動しようとしているという理由で嫌われることはしばしばです。気に入られるのは非常に簡単です。単に人当たり良く、強い信念を持たずにいればよいのです。そうして、人は中心に引き寄せられ、平均並みに収まるのです。これはあなたたちの役割ではありません。世界には非常に多くの悪い人々がいます。彼らの機嫌を損ねないということは、あなたも悪であるに違いないということです。
このコインの裏はこうです。恋に落ちなさい。
私は、「愛されなさい」とは言っていません。愛されるためには過大な妥協が必要です。見た目や人格や価値観を変えれば、誰からだって愛されるでしょう。
正しくは、誰かを愛しなさいと勧めているのです。こんなことを言うのは奇妙なことに思えるかもしれません。あなたたちは、誰かを愛するなんてことは、意識せずに自然に起こることだと思っているかもしれません。
間違いです。現代社会はアンチラブです。私たちは誰かの欠点や短所を明らかにする顕微鏡を手にしてしまいました。誰かを愛さない理由を見つけるのは、誰かを愛す理由を見つけるよりも極端に簡単です。拒絶には唯一つの理由が、愛には全面的な承認が必要です。大変な労力です。私が快いと感じる最良の業務内容です。
誰かを愛することには素晴らしい恩恵があります。賞賛や学び、魅力的な何か、より良い言葉で言うと、皆が幸福と呼ぶ何か。誰かを愛することで、私たちは、あらゆる意味で自分をより良くしようという気にさせられます。物質的なものは無価値だと学びます。人として在ることを祝福します。愛することは魂に良いのです。
それゆえ、他者を愛することは非常に重要です。そして、自分に適した人を選ぶこともまた大事です。ポピュラーカルチャーの世界は別として、混雑したダンスフロアを間にして一目で偶然に愛が芽生えるなんてことはありません。愛はゆっくりと育ちます。枝をつくって花を咲かせる前に、まず根を下ろすのです。それは、たわいのない雑草ではありません。いかなる嵐も乗り越える大木です。
愛する人を持つとき、あなたは気付くでしょう。顔は頭の中より、体は心より、重要ではないということを。
また、たとえあなたの愛が報われなくとも悲劇的なことではないと知るでしょう。愛されるために誰かを愛するのではありません。愛することの価値は、あなたの中の何かを呼び起こすことにあります。
最後に、誰かを愛することに関しては、中途半端なやり方は通用しないことがわかるでしょう。遠慮も言い訳もせず、徹底的に完全に、肉体の全細胞でもって臨まない限りは不可能です。そうして、あなたは消耗し、生まれ変わるのです。愛の力によって。
働くな。真実を語るな。嫌われよ。誰かを愛せよ。
あなたたちの人生は忙しくなることでしょう。そこに平均寿命がないことに感謝しましょう。』
以上です。