Q 池田先生が気功を始めたきっかけを教えてください。
A 私は、かつてある修養団体でスタッフとして働いておりました。
そのときに、日本でのおりからの気功ブームと相まって、当該団体においても、気功と銘打った講座を始めました。
当時は、私は気功に興味があったわけではありませんでした。
ただ、両手の間でふわふわとしたエネルギーを感じたりすることを楽しみながら、むしろ瞑想のほうに傾倒しておりました。
ところがある日、気功専属のスタッフが予定外の休みを取ったため、急遽私に気功の施術をするように上の者からの指示がありました。
今でいう気功ヒーリングと言ったらよいのでしょうか。
ヒーリングという言葉は、私としては抵抗のある言葉ですが。
私はそれまで家族以外の者に気を当ててみたことがなかったので不安でした。
ですが、上の者は、「あなたなら成果を出せるから。自分の思うようにやりなさい。」と言って、被施術者のところに私を送り出しました。
当時私は、自分なりの気功施術のやり方なんてなんら持っていませんでした。
ですから、まずは被施術者に対して気を当てることから始めました。
これは自分自身に気を当てることと同じですから、容易にできたわけです。
気を当てていますと、被施術者が自分の身体が温かくなってきたとか、あるいは楽な感じになってきたとか、何かを言ってくれるわけです。
それで私自身、自分の気が相手に何らかの影響を与えているのだなというふうに確信を持つことができました。
自分としては不確定な気持ちながらも、その後何回も気功施術を何人もの人に実施していくうちに、徐々に相手の気の状態を通して相手が私に言わなくても、相手が持っている症状、痛み、感覚、心の状態などが感じられるようになってきました。
それを相手に告げると、相手はその通りですというふうにおっしゃるわけです。
それで、気を通して相手の状態を深く知ることができることを体験的に学び、自分の気功に確信を持てるようになりました。
ですから、元々気功を志していたわけでもありませんし、気功師になるべく修行をしたわけでもありませんし、自分がそういった力を発現できると考えたり望んだりしたこともありません。
まったく自然の流れの中で、体験的に気の存在を確認し、自分ができることを確信していった状況です。
そういった中で、それを継続していると徐々に楽しくなってきました。
相手が隠していることを分かったり、相手が言わないことを自分が言い当ててそれに対して相手が驚くことようなことは、面白いともなんとも思いませんでした。
それをしたいとも思いませんでした。
ですが、そういうことができた瞬間というのは、相手との一体感が生まれます。
心が通じ合う。まさに本当に心が通じ合うのです。
その瞬間の感触というのが、私にとっては何ものにも代えがたい喜びであり、楽しさであり、素晴らしいものと感じました。
ですから、それ以降私は被施術者と向かい合うことがとても楽しみになりました。
それまでは自分に自信がないですし、自分が相手に不確実な何かを言うことで自分の所属団体に迷惑をかけてはいけないという気持ちもありましたので、正直なところ気功施術をすることは重荷に感じていました。
でも体験を積み重ねていくうちに、これが私の喜びだと感じました。
被施術者の中には、最初から気の存在を疑っている方もおられます。
対面したときに、私はその方がどういう気持ちでその場に来ているかということが分かるようになってきました。
当時は私も若かったので、「あなたは気功を受けることを喜んで来ていませんね」と申し上げました。
相手が高校生で、お母さんに無理矢理に連れてこられたのではと告げると、相手は苦笑いしながらそうだと答えました。
私は、気の力を信じる必要はないと、ただ座っていてくださいと告げて始めるようにしていました。
当然、相手は最初は反発の気を出してきます。
ですので、その反発の気を丁寧に取ることから始めます。
その後、こちらから気を送ります。天の気と融合した気です。
そうすると相手の心から警戒心が取れたり、心に喜びが蘇ったりする瞬間があります。
その時に、相手が心が変わったこと、心が楽になったことを指摘すると、相手はとても嬉しそうな顔をしました。
その瞬間は、相手の気と私の気(天の気)が融合した瞬間でした。
それを味わうのが、何よりも喜びでした。
以上です。