金剛寺をあとにし、一行の宿泊先がある住田町へ向かう。が、その途中で現地コーディネーターの方とようやく連絡がついた。
そこで、「川の駅よこた」で会えることになった。
この現地コーディネーターの方は、地元消防団の方で池田氏の友人である(あとで陸前高田市の市議であると知り唖然とする)。
その方の事務所で、震災当日の状況をこと細かく説明していただいた。ipadとパソコンでたくさんの写真を見せていただきながら。
迫りくる津波の脅威が物静かながらも淡々と写っていた。津波が来たと思ったら、ほんの2~3分でほとんどのものが流されて、波がひくと同じ場所を写してるにもかかわらず全く違う光景になっていた。
それにしても、足元まで迫っている波を撮っているときの心情とはいかなるものだろうか。「もうだめか」と何度も思ったと聞いたが、確かにそうだろう。それでも、よく冷静に撮っていたものだと感心してしまった。
そんなお話を1時間ほど伺ったのち、支援物資をお渡しすることができた。その後すぐに、近隣の仮設住宅などに配布していただいている。
写真は、その方の事務所に貼ってあったもの。
復興のシンボルとなるであろう高田松原に唯一残った松をあしらったポスターである。
気仙沼側からこの松原方面に行くために渡る橋がことごとく損壊していたため、今回は松原に行くことができなかった。(行くためには、大きく1時間以上かけて迂回しなければならないと思われる)
この頃になると暑さと疲労もあったため、住田町の宿泊先へと急ぐことにした。宿泊先は、池田氏のご親戚のお宅である。
20分程度車を走らせ、住田町へ到着。
この町は、陸前高田市に隣接しており、3月11日の地震でも最大震度5強を観測している。死亡者も出ているようだ。にもかかわらず、翌日から陸前高田市や大船渡市などに対して後方支援活動を行なっている。給水車派遣、水道水提供、婦人消防協力隊による炊き出し、仮設住宅の建設、避難者受入れなど多数の活動をしている模様。
また、この町は木材の町でもあるようだ。
近くに仮設住宅があったが、ここでは木材製の仮設住宅である。まるでログハウス。夏は木材が湿気を吸ってくれるだろうし、冬は木のぬくもりが感じられることだろう。住む人の気持ちもかなり違うはずだ。
前回の反省から、仮設住宅を個別訪問するのは遠慮した。
宿泊先では、手厚いおもてなしをしていただいた。ご主人の手料理も美味しくいただいてしまった。
感謝の言葉が飛び交う空間。地震や津波の被害、いろいろな人間模様があるだろうが、誰一人として否定的言葉を言わない。
心地よいエネルギーの中で、心地よい眠りにつけた。
いざ陸前高田⑤へ続く。