本当のことが理解・体験できる。
頭でわかっていることが本当のことだと分かるようになる。
そのとおりに生きるようになる。
そうすると、それを頭で考えることをしなくなる。
だってそれが当たり前だから。
呼吸をしているかのように。
といっても現代人は自然な呼吸を忘れているけれど…。
赤ちゃんが生まれてきて、誰に教わるのでもなく呼吸を始めるように。
全身に気をめぐらせるために、大きく泣くように。
喜怒哀楽もいいじゃないかと思えるようになる。
4つが順々に循環していれば大丈夫。
短いスパンで。
そのスパンが長くなると、つまりずっと怒っていたり、ずっと悲しんでいたり、ずっと喜んでいたり、スパンが長すぎるとそれがいわゆるカルマというものになる。
その人にこびり付いてしまう。
呼吸ができなくなるんだよ。
全身で気の出し入れができなくなって、オーラが歪む。
顔にも出てくる。
いわゆる人相だね。
体型にも出てくる。
髪型服装にも出てくる。
だから、見かけって本当に大事なんだ。
見る人が見れば分かる。
だからといって、善悪じゃあない。
そういう性質、たちだということ。
それによって同じようなことが何度も起こるから、カルマって言葉を作ったんだよね。
喜怒哀楽の循環が早く、短いスパンで回っていけばいい。
それは表面のことだから、それでいいんだ。
錯乱しているわけではない。
中心はしっかりしている。
中心がそれらを管理できている。
ところが、スパンが長いと管理が行き届かない。
それらが固まって、そのもので実体を作ってしまう。
それがカルマになる。
ちょっとやっかいだね。
残留思念とか、自縛霊と呼ばれるものもこれ。
その人の本体じゃあないんだよね。
でも逆に言うと、それはさっさと切り離してしまえば良いから、楽なんだ。
本体とつながった糸をぷつんと切るというか、もうバイバイってね。
実は簡単なことさ。
カルマを断つことなんて本当に簡単なんだ。
心の底からそうしようと思えば良い。
ああだこうだと考えないで、そうしようと思うだけ。
それだけのこと。
分かる?
ここが大事なんだよ。
ああだこうだと考えないの。
そうしようと思うだけ。
心の底からそうしたいと思うだけ。
本当にしたいと思ったその瞬間、それはそうなるんだよ。
今は言葉のまやかしが多すぎるね。
祈るときに、「何々になりますように」でも「何々になりました」でも、そんなものはどっちでも良いんだ。
ほらまたそこで考えている。
なりましたと言った方が叶いやすいと考えているでしょ?
だから、考えているからその分心の底からそうなりたいと思えていないんだよ。
感情って考えないでしょ?
思うだけでしょ。
思いの力ってそういうこと。
思うだけ。
そうすれば必ずそうなる。
いかにそうなれるかどうか。
集中できるかどうか。
だから人はいろんな状況を自分に与えて、心の底からそう思えるように自分自身を作っていく。
瞑想というのは、とても平和的な方法。
あるいは逆に、自分を徹底的に嫌な方向に追い込んでいく人もいる。
そして、心の底から100%もうこんなことは嫌だと思うんだ。
それは100%すばらしい状態を望んでいるのと同じこと。
そこで考えてないでしょ。
100%嫌だと思うときは、こんなネガティブな自分は幸せになれないなんて考えていないんだよ。
ただそこに100%嫌だという思い、改善したいという思いがあるだけ。
だから実現する。
だからおんなじことなんだよ。
すべては自分から考えること、理解しようとすること、思考しようとすることを取り去る瞬間を作るためにやっていること。
それらがなくなったとき、つまり100%思いになったときが(この思いという言葉にも、思いというものを理解しようという考えが入っているから正確じゃあないんだけど)、とにかく100%の状態になったとき、宇宙と繋がるんだ。
本当の自分と繋がるんだ。
個々の自分じゃなくて、全部とね。
そういうこと。
これはみんな君が悟ったこと。
これはあなたが悟ったこと。